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大正14年 | 浄土宗楞嚴寺住職田尻龍道が大阪少年裁判所から16歳の一少年を引き取り、境内建物の一室に保護した。少年法の規定で、保護団体「少年高津学園」の認可を司法省からうける。 |
昭和6年 | 大阪府知事より、大阪幼少年保護所の認可を受ける。 |
昭和20年 | 大阪大空襲で木造洋館3階建て、事務所の大半を消失。大阪府和泉市の菩提寺内に園児40名を集団疎開、終戦後大阪市内の食糧事情が悪いことから引き続きここにとどまり、50坪の園舎を急造、信太学園と名づける。 |
昭和23年 | 児童福祉法の施行により、「少年高津学園」を高津学園に改称、児童福祉施設教護院となる。 |
昭和24年 | 財団法人高津学園を設立、初代理事長に田尻龍道が就任。 |
昭和27年 | 厚生大臣より社会福祉法人の認可を受ける。 |
昭和28年 | 大阪府より養護施設信太学園の認可を受ける。 |
昭和29年 | 終戦処理の一環としての戦災児対策が一段落し、大阪府の要望もあって、高津学園の教護院29年の歴史を閉じ、養護施設となる。 |
昭和32年 | 共同募金、お年玉年賀はがき受益金の配分を受け、鉄筋2階建て(102.5坪)を新設、法然寮と名づけ、ろうあ児の収容保護を始める。 |
昭和44年 | 田尻玄龍が第2代理事長に就任。 |
平成7年 | 新規事業として知的障害者更生施設知恩寮を開設。 |
平成13年 | 地域小規模養護施設月影寮を、職員宿舎の1階を改造して設置する。 |
平成21年 | 知恩寮を障害者自立支援法に基づく障害者支援施設に移行する。 |
平成22年 | 田尻達朗が第3代理事長に就任。 |
平成24年 | 改正児童福祉法・自立支援法の改正により、ろうあ児施設を福祉型障害児入所施設に移行する。 |
平成30年 | 児童養護施設高津学園を国庫補助金、大阪市補助金、自己資金で小規模グループケア対応施設にするため新築・建替工事を開始する。 |
令和2年 | 新築工事が完了し、小規模グループケアに対応した、児童養護施設報恩寮を開設する。 |
令和3年 | 建替工事が完了し、児童養護施設高津学園を小規模グループケア対応施設に形態変更。 |